龍谷大学 里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センター 「龍谷の森」とは
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「龍谷の森」について

 龍谷大学は、京都市伏見区深草にある深草学舎に大学本部を有していますが、もともとは現在、文学部および大学院文学研究科がある京都市下京区七条大宮に 1639(寛永16)年設置された浄土真宗本願寺派学寮(後に学林と改称)を出発点とする、360年以上の歴史をもつ大学です。 1989(平成元)年、創立350周年記念事業の一環として、滋賀県および大津市の支援を得て大津市瀬田に、大宮・深草両学舎につづく第三のキャンパスを設け、理工学部および社会学部を開設しました。 この瀬田学舎ではさらに、1996年、国際文化学部も開設され、2003年には、理工学部に環境ソリューション工学科が情報メディア学科と共に増設されました。

 瀬田学舎は、瀬田丘陵のほぼ中心部に位置しますが、1994年、龍谷大学はこの瀬田学舎に隣接する山林地帯を購入しました。 水平面積にして約38haあり、起伏がかなりありますから、実面積は約50haに及ぶ里山林です。 大学では、開発してグラウンド整備を行う意図もありましたが、豊かな自然を残す典型的な里山林であるその場所を、里山保全として活用することを求める教職員の意見が強まり、教員有志が2001年1月、第1回龍谷大学「里山シンポジウム」を深草学舎で開催し、保全運動を開始しました。 2001年3月、龍谷大学瀬田学舎隣接地保全の会を形成し、「瀬田隣接地の創造的活用についての請願」を教職員238名の署名を付して当時の上山大峻学長に提出しました。 瀬田学舎隣接地保全の会は、里山林としての隣接地を「龍谷の森」と呼ぶようになりました。

 2001年4月には、第2回龍谷大学「里山シンポジウム」を深草学舎で開催し、また同年10月、大津市環境部環境保全課が主催する環境講座「瀬田丘陵での里山の再生」が、市民の方々の参加によって「龍谷の森」で行われました。 さらに2002年3月第3回龍谷大学「里山シンポジウム:里山からみえる未来」、2003年3月第4回龍谷大学「里山シンポジウム:里山の過去から未来へ」が、瀬田学舎で開催され、2003年7月には、「『龍谷の森』里山保全の会」が結成されました。 これは、これまでに保全活動に参加されてきた「おおつ環境フォーラム」の方々をはじめとする市民の方々からの要望でつくられた会員制の団体です。 2004年2月には、京都府の主催で「瀬田隣接地の里山を考えるワークショップ:琵琶湖・淀川流域における水と緑の保全活動の促進を目指して」が瀬田学舎で開催され、滋賀県、大津市の行政、市民、そして大学の三者のパートナーシップの可能性について、熱心な議論がなされました。 このような研究者と市民と行政との交流と共に、2001年以来、毎年数度、市民や学生たちの参加する保全活動を重ねてきました。以上のような一連の活動を基盤として、 2004年5月、文部科学省の採択を得て「里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センター」が開設されることになったのです。


 以下は、「瀬田学舎隣接地保全の会ニューズレター」第2号(2001年2月21日)に掲載された江南和幸・理工学部教授の文章からの引用です。


 瀬田の地に龍谷大学の2つの学部が作られてから、10年が過ぎた。 緑濃い瀬田丘陵は、かつて人々と自然が調和ある共生の時を過ごした里山の名残を今にとどめる。 丘陵の真ん中に龍谷大学瀬田学舎が作られる時、当時の千葉乗隆学長は、校地造成による自然の破壊に仏教者として心を痛められ、入り口の小山をそのまま残すことを提案された。 小山には、日本のレッドデータブックに載るコモウセンゴケ(トウカイコモウセンゴケ)さえ見つかり、千葉乗隆先生の英断の正しさを証すところとなった。〔中略〕

 瀬田学舎の隣接地に大学の将来の発展を夢見て、さらに広大な里山を取得したことは、実のところ龍谷大学の未来へ大きな可能性をもたらすものとなった。

 広大な里山は、一見経済的価値のない雑木や、やせたアカマツに覆われているように見えるが、遠く7世紀の時代より、人々と自然とを結んだ歴史を秘め、豊かな自然の植生とそこに集まる生き物の、今では貴重な命の王国が営まれている。〔中略〕

 京都を発った新幹線が瀬田川鉄橋を過ぎる頃、車窓を南に望むところに、その昔大津京や奈良の都の造営のために今に続く禿げ山と化した湖南アルプス太神山塊が、緑溢れる日本の山とは一種異なった岩だらけの光景を見せ始める。 そこから流れ出た大戸川流域に沿って狭い田上〔たなかみ〕盆地から琵琶湖に向かい再び小さな丘陵が盛り上がり、今度は琵琶湖にかけてゆったりとした斜面が新幹線の反対側に広がっている。このあたり一帯が大津市瀬田地区である。 北川の斜面は住宅に覆い尽くされているが、丘陵地帯は、今でも雑木の茂る里山として、人と自然との交流の跡を残している。

 大学がグラウンド造成を目論んで購入した隣接山地では、環境庁による厳格な保存が義務付けられた鳥類の、オオタカの何度かの営巣と棲息が確認され、さらに、キツネ、タヌキ、イタチ、ウサギ、テンの生息も確認され、グラウンド造成どころか里山保存の必要性が生まれるにいたった。 古くから瀬田ゴルフ場に加えて、滋賀県文化ゾーンの開設、大津市公設市場の拡張、龍谷大学のキャンパス造成、滋賀県によるアイスアリーナ建設など、瀬田地域は急速に姿を変えようとしているが、実はまだ昔からの里山の姿を残す貴重な場所であることが明らかになりつつある。 以下、瀬田学舎開設以来およそ10年にわたり瀬田キャンパス周辺の自然観察を行ってきた筆者のささやかな報告として、春の龍谷大学を彩る里山の花木のいくつかを紹介しよう。

 里山にはあまり価値のない雑木が生えているだけだと思うと間違いである。 それらの雑木はまた思いがけず綺麗な花をわれわれに届けてくれる。これらの花こそ古来より日本の花鳥風月の風流心を育てたものである。

「コバノガマズミ」(スイカズラ科)
 小さな小さな白い花を集めた散房花序を沢山の新枝の先に付ける。 里山の春の香りを真っ先に届ける。秋には真紅のルビーの珠を群がって実らせる。
「ツクバネウツギ」(スイカズラ科)
 陽のあたる丘の斜面に生える低木。枝の先に浅黄色の筒状の花を2個つける。 花の根元の5弁のプロペラのような萼からこの名がついた。
「キリ」(ノウゼンカズラ科)
 たんすや下駄の材料として古くから栽培されているキリは山地にも沢山自生する。 4月の終わり頃、見事な紫色の筒状の花が枝先に大きな円錐花序を形成する。
「マルバアオダモ」(モクセイ科)
 4〜5月頃10m位の高木の枝先に白い花の円錐花序を沢山つける。遠目にも白い霞のような花序が美しい。
「エゴノキ」(エゴノキ科)
 これもまた丘陵地帯の標準的な木である。10〜15mの高さになるが、あまり太くはならない。 4〜5月頃に枝から白い清楚な花を多数ぶらさげる。瀬田キャンパスの植栽にもなっている。
「イワナシ」(ツツジ科)
 3月末わずかの間、丘の斜面にうす紅色の可憐な花を咲かせる。 本州では森林限界に生えるが、ここ滋賀県と京都府では里山のあまり栄養のない斜面に生える。 可憐な花に何度か盆栽に仕立てようとしたが、決して人の手では育たない。 里山の環境下でのみ生育する。5〜6月になると、花の後にねばねばした毛に包まれた緑色の小さな実を結ぶ。 甘酸っぱい味は比叡山や、京都北山ハイキングの格好の友である。
「コバノミツバツツジ」(ツツジ科)
 4月の始め桜の咲く前に、大津市の丘陵地帯は一面紫色の衣に覆われる。 それが、近畿地方の里山に生えるコバノミツバツツジである。 葉が出る前に一斉に花を咲かせる様は里山が元気なしるしでもある。 雄しべが5本のミツバツツジと違って、雄しべが10本である。
「アセビ」(ツツジ科)
 陽当たりのよい斜面では1月の終わりからつぼみをほころばせる。 スズランのような白い花を房状に付ける早春の象徴。 この木は花の蜜の一滴も有毒であるので、決して口にしないように注意すること。
「モチツツジ」(ツツジ科)
 コバノミツバツツジより一ヶ月ほど遅く山を彩る低木であるが、花はずっと大きく、薄いピンク色の花弁の上の弁に濃い赤紫色の斑点を散りばめた美しい花。 葉、花芽が強く粘ることからこの名が付いた。
「ヤマツツジ」(ツツジ科)
 5〜6月頃朱色の小型の花を沢山つけ丘陵を彩る。モチツツジと共に沢山の園芸品種の母種である。
「ネジキ」(ツツジ科)
 山や丘に樹皮がねじのように下から上に向けて連続的にねじれている木を見かける。 それがネジキである。白いスズランのような可憐な花を咲かせる。 木の形も花も一見ブルーベリーによく似ているが、アセビやドウダンツツジと同様有毒である。
「ガンピ」(ギンチョウゲ科)
 有名な雁皮紙の原料である。ジンチョウゲ科の特徴の筒形の、淡黄色の花を枝の先に6〜8個つける。 和紙の原料であるから、強靱で手で容易に折ることはできない。 昔より、瀬田から田上にかけて沢山生え、近江雁皮紙発祥のもととなった。
「ヒサカキ」(ツバキ科)
 里山の標準木ともいえる常緑樹。神社などでは10m近い高木になるが、丘陵地帯では余り大きくならないようだ。 春先に枝の腋に多数の白い筒状の花をつける。同じツバキ科のサカキとは属を異にするが、仏前に供える。
「ヤブツバキ」(ツバキ科)
 説明するまでもない日本の特産種で、世界の園芸界に広がった名花。照葉樹林帯の名残の木。 山の中のあちらこちらに真っ赤な花を咲かせる。その蜜にメジロ、ウギイスが群れ、鳥を育てる。
「アカメガシワ」(トウダイグサ科)
 花よりも紅い新芽の美しさがこの名をつけた。雌雄異株で雄花の方が綺麗なのは、自然界の約束事。 広がった新芽で餅や強飯をつつんで供え物にしたという。胆石を取るという有名な民間薬。
「フジ」(マメ科)
 アカマツやヒノキにつるをからませ、思わぬ紫色の見事な花をそれらの木に添えるのがフジである。 普通のフジは上から見るとつるが時計回りの「右巻き」である。花が少し大きい(2〜3p)ヤマフジはつるが「左巻き」である。 この右巻きは実はつるの進行方向を考えると、「逆ねじ」すなわち「左ねじ」となっている。 生物学は「ねじ」については物理学や工学とは逆の定義を与えている。瀬田の山地にも、フジが点々と生える。
「ヤマザクラ」(バラ科)
 日本古来より歌に詠まれた桜はヤマザクラである。つぼみは微かに紅を帯びるが、開花すると花びらはむしろ白い。 遠くにかすむヤマザクラが紅色に見えるのは花の陰に覗かせた新芽が紅いためである。
「ウワミズザクラ」(バラ科)
 サクラとはいうものの、長い雄しべが特徴の小さな白い5弁の花を枝の先に穂状につける。花の後の実を塩漬けにして食べる。 樹皮は暗紫褐色で美しい皮目があり、秋田地方の「かばのき細工」の樹皮はたいていこのウワミズザクラの樹皮という。瀬田の山地のそこここに20m近い高木になって生育する。
「カナメモチ」(バラ科)
 冬の紅い実も見事であるが、春先の紅い芽に6oほどの小さな白い花が枝先に群がって咲く光景も見事である。
「ウツギ」(ユキノシタ科)
 またの名をウノハナ。入梅を前に里山から川原に白い花を群がらせて咲かせる。
「コウヤミズキ」(マンサク科)
 早春にヒュウガミズキによく似た黄色の美しい花を咲かせる。龍谷大学の山地の端に見事な大木が数株残る。瀬田ゴルフ場の開発の手から辛うじて逃れた貴重な種。
「ホオノキ」(モクレン科)
 高さ10〜20mの巨木になる里山随一の大木である。6月になると、枝先に広げた大きな葉の上に巨大な6〜9弁の白い花を咲かせる様は壮観である。 加工しやすい板材から作った朴刃の高下駄をはいたことも、今では遠い思い出になってしまった。
「アケビ・ミツバアケビ」(アケビ科)
 アケビは葉が5枚、ミツバアケビは文字通り3枚である。どちらも秋の実りの味覚が有名であるが、春の花も大変綺麗である。
「ヒメヤシャブシ・ヤシャブシ・オオバヤシャブシ」(カバノキ科)
 花粉アレルギーの元凶として嫌われるこれらの木々も、田上山の禿山の回復、名神高速道路の切通し斜面の保全に大いに役立った有難い木である。 3月末から黄色の雄花穂を沢山たれる様はなかなか見事で綺麗である。花粉のいたずらはむしろ最近の人間の免疫異常のためで、花のせいではない。
「イヌコリヤナギ」(ヤナギ科)
 早春の柳の芽といえばネコヤナギが有名であるが、猫に対する犬の柳がこの木である。 4月の初めに紫色の小さな雄花序を枝の先にたくさん付けると、待ちかねたように虻や蝶が群がる。ネコヤナギ程目立たないが、よく見ればなかなか綺麗な花である。
「ネコヤナギ」(ヤナギ科)
 この木も瀬田山地の水が染み出す斜面に生え、上と同様美しい絹の花芽を見せてくれる。

 これらの花木のほかに瀬田山中には、里山標準木となる、コナラ、クヌギ、アカマツ、ソヨゴ、サカキ、コウゾ、ノリウツギ、タラヨウ、タカノツメ、コシアブラ、タラなどなどを加えると、おおよそ120種類の樹木が生えている。 50haの山中にこれだけの種類の樹木、またそれに匹敵する草本類、それらと深い共存関係を保つキノコ(江南の調査では120種類を越える大小さまざまのキノコが瀬田山中に産する)と、それらによって生きている多数の動物、昆虫、鳥が棲息する龍大瀬田山地こそ「草木国悉皆成仏」の世界と言える。

 経済的に価値がないと思われる雑木林・里山は、このようにわれわれの目を楽しませ、心に恵みを与えてくれる素晴らしい「価値」を持っている。 市場価値万能の経済主義か、地球の未来を考える「共生き」か、龍谷大学がどちらの道を選択するのかを里山の生き物たちが見つめている。

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